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17件の議事録が該当しました。

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1991-09-18 第121回国会 衆議院 国会等の移転に関する特別委員会 第2号

磯村参考人 大変理屈を言うようでございますけれども一極集中対多極分散といったような問題は非常に口当たりがいいのでございますね。言葉だけはわかりやすいのです。実際はわからない。一極集中といったようなものは、現在の二十一世紀に向かって世界の一つの動向であるということを証明しているのは日本なんですね。口当たりは別問題として、若干さわることを申し上げるのでございますけれども、それでは国会は、どうして新幹線

磯村英一

1991-09-18 第121回国会 衆議院 国会等の移転に関する特別委員会 第2号

磯村参考人 磯村でございます。このような席を与えていただきましたことにまず厚くお礼を申し上げたいと思います。  国会が昨年この問題につきまして、と申しますか、いわゆる通称遷都と申しまする問題につきまして国会の決議をされましたことは、この問題の解決につきまして、若干専門立場からいたしましても、大きな一石どころか大きな課題を提供されたことといたしまして、心から敬意を表したい、こう思うわけでございます

磯村英一

1981-11-25 第95回国会 参議院 内閣委員会同和問題に関する小委員会 第1号

参考人磯村英一君) このような機会を与えていただきましたことに厚くお礼を申し上げたいと思います。  すでにお話があったと思うのでございますけれども、私には同和対策協議会委員であるという一つ背景がございます。そこの立場というものもある程度踏まえました上で意見を申し上げたいと、こういうふうに思います。  まず、いわゆる通称特法の効果ということでございますけれども、この問題は、日本のいわゆるこういう

磯村英一

1981-11-17 第95回国会 衆議院 内閣委員会同和対策に関する小委員会 第2号

磯村参考人 それでは、御質問の三番目からお答えをしたい、一番目がさらに重要でございますけれども、三番目から申し上げたいと思います。  いわゆる国民的課題になぜなっていないかということには、かなり広い意味があるわけでございます。たとえば、地方自治体職員が採用されたりあるいは研修をしたりいたします。そういう場合におきまして、いままで一体そういうところでどれだけこの同和問題、あるいは同和対策事業特別措置法

磯村英一

1981-11-17 第95回国会 衆議院 内閣委員会同和対策に関する小委員会 第2号

磯村参考人 御質問でございますが、冒頭に申し上げましたように、行政調整委員会でございまして、したがいまして的確なお答えになるかどうかわかりませんが、現状だけは申し上げてよろしいと思います。  実は、この法制の問題、先ほど申し上げましたように、大部分と申しますか、恐らく私は全部と申し上げてよろしいと思いますが、そういう方向でのお考えでございますから、特別委員会ですでに、審議を一応得ております。これは

磯村英一

1981-11-17 第95回国会 衆議院 内閣委員会同和対策に関する小委員会 第2号

磯村参考人 ただいま御指名を受けました磯村でございます。  本日の私の参考人としての御招請は、肩書きがございまして、同和対策協議会のメンバーである、こういうことでございます。したがいまして、私の陳述の中にはそういう背景がございますということを明らかにしておきたい、こういうことでございます。  同和対策協議会は、御案内のごとく総理府付置機関でございまして、同和行政調整をするという役割りでございます

磯村英一

1978-06-07 第84回国会 衆議院 内閣委員会同和対策に関する小委員会 第3号

夏秋参考人 ただいま上原先生の方からあと何年延長すればいいのかというようなことについて具体的にという御質問があったわけでございますが、先ほども申し上げましたように、五十年調査によります五十四年以降の残事業と申しまするか、先ほど政府関係の方から御説明のあったいわゆる残事業というものと、これまた私が申し上げましたその後計画されました事業というような二つが、われわれ地方公共団体職員として直接この行政

磯村英一

1978-06-07 第84回国会 衆議院 内閣委員会同和対策に関する小委員会 第3号

磯村参考人 御紹介いただきました磯村でございますが、国民の一人といたしまして、このような機会を与えていただきましたことに敬意を表したいと思うわけでございます。  私へのお問い合わせば、現在通称特法と言われておりまする法律を中心にしました課題についての私の考えということと思うわけでございますが、私は、五月末日まで政府総理府にございまする同和対策協議会会長という立場がございますわけでございます。

磯村英一

1978-06-07 第84回国会 衆議院 内閣委員会同和対策に関する小委員会 第3号

夏秋参考人 私は、全日本同和対策協議会会長夏秋幹であります。  まず、全日本同和対策協議会と申しますのは、同和対策事業に携わっております三十六都府県と十市で組織をいたしておりまして、第一線にあります地方公共団体立場から共通の課題につきまして調査研究あるいは関係機関への要請世論啓発等事業を実施いたしておりまして、同和問題の早期解決を図りますため適正かつ効果的な事業促進を図ろうとする任意団体でございます

磯村英一

1973-07-12 第71回国会 衆議院 建設委員会公聴会 第2号

磯村公述人 この機会国民の一人としましてこのような機会を与えていただきましたことを心から感謝したいと思います。  委員長お話しのように、きわめて自由な立場から、かつ自分専門に限りまして意見を申し上げたいと思うわけでございます。  御趣意にございました今回のいろいろな法案につきましては、すでに世間にいろいろな批評、賛否両論があると思うわけでございます。その背景になりまするかつての全総あるいは新全総

磯村英一

1971-02-10 第65回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第1号

磯村公述人 第一点の問題は、やはり新全総計画とかあるいは新産業都市建設促進法といったようなものに伴いまする、いわゆる日本地域開発をこの際再検討すべきじゃないかという点についてでございますけれども一つの例を申し上げますと、新全総計画によりますると、東京湾、伊勢湾、大阪湾というものを、これを非常に具体的な開発対象にしております。ところが今日におきまして、東京湾開発する、埋め立てするということとかあるいはそこに

磯村英一

1971-02-10 第65回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第1号

磯村公述人 第一点の、大学紛争に関しましての私学振興の問題でございますけれども、この問題は、私学は御案内のごとく学生の増加という面で何とかその経営をカバーしておるわけでございます。しかし、もし現在政府でやられておりまする中教審の答申が完成しまして、そのとおり実行しろと私学にもしお示しがございましたならば、大部分私学はおそらく門を閉じなければならないんじゃないかと思うわけでございます。それは現在の

磯村英一

1971-02-10 第65回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第1号

磯村公述人 磯村でございます。  国民の一人といたしまして、このような機会を与えていただきましたことをお礼を申し上げます。  考えを申し上げまする前に、一つのエピソードを申し上げることをお許しをいただきたいと思うのですが、私、ちょうど二年前のこの二月十日に、全く同じような立場でワシントンの国会の席におりましたわけでございます。下院の特別委員会から要請がございまして、アメリカアジア政策について外国人

磯村英一

1969-06-24 第61回国会 参議院 地方行政委員会 第19号

参考人磯村英一君) 貴重な御意見を承りましたんですが、一点だけ申し上げますと、私が申し上げました生活機能の一日完結性と申しますのは、卑近なことを申しますと、こういうくくり方と申しますか、かりにそういうことでないといたしますと、最近のようにいわゆる情報社会というようなことになってまいりますと、たとえば皆さんがここで御審議になっていることはあるいは奄美大島でこれを同時に見たりあるいは聞くことができるような

磯村英一

1969-06-24 第61回国会 参議院 地方行政委員会 第19号

参考人磯村英一君) 前半につきましては、私その経験を持ちませんでございますから、お答えいたしかねます。  後半につきましては、そこに私は国家公務員地方公務員の、日本のいわゆる公務員制度の中における一つの大きな問題があると思うわけでございます。なにか国家公務員が上位に立ち、地方公務員が下位に立つということは、おそらく今回の府県合併の問題の中におきましても一つの傾向だと思います。しかしこれを機能

磯村英一

1969-06-24 第61回国会 参議院 地方行政委員会 第19号

参考人磯村英一君) 私から意見を述べさせていただきたいと思います。  現在、責任を持っておる大学が二日前から封鎖の現状にございまして、非常にむずかしい状態にございます。したがって、お許しを得まして一番最初意見を申し上げたいと思います。  この法案につきましてはすでに幾多の御意見がございますと思います。私は自分専門のたてまえからいたしまして、主として地方自治体機能がいろいろの面から変わりつつあるというそういう

磯村英一

1969-03-17 第61回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号

公述人磯村英一君) 具体的に申し上げまするといろいろ長くなりまするのでございますが、私は、現実の問題として出てきておりますのは、日本行政の体制の中におきましての非常に段階的なものをまずはずしていくべきではないか。それは何かと申しますると、何も私は町村合併をしろとか、あるいは直ちに府県をどうこうということではないんでございまするが、先ほど申し上げましたように、住民の意識が、あるいは経済の行動それ

磯村英一

1969-03-17 第61回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号

公述人磯村英一君) たいへん御丁寧な御質問をいただきましたのでございますが、一番最初お話しございました、日本列島の将来像、というようなことばでは申し上げなかったと思うのですが、何か私の話の不十分から、将来は航空母艦的なものになるんじゃないかというふうな御印象を受けたかと思うのでございますが、私は必ずしもそういう立場ではございません。はっきりそうじゃない。しかし、多くの方々のお考えが何かそういう

磯村英一

1969-03-17 第61回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号

公述人磯村英一君) こういう機会を与えられましたことにあたりましてお話を申し上げまする前に、教職にある者といたしまして、ここ一年近くにわたりまして大学紛争が続いております。私の属しておりまする大学もその例に漏れません。こういう事情というものを引き起こしましたことに、教職にある者といたしまして非常に深く反省をいたし、できればそういう事情がすみやかに適当な調整のつくということを期待いたしておりまするということを

磯村英一

1968-04-11 第58回国会 衆議院 建設委員会 第14号

磯村参考人 ただいまのおことばでございますが、私が申し上げましたのは、ただいまの御発言のとおりでございまして、実は五十年後になんということを申し上げましたのは、私の一つことばのあやでございまして、都市計画法自体の精神というものはやはりそこに向いているのではないか。現在の時点においてやはりそう向いている。いわんや、最近、経済企画庁あたり高密度経済社会ということを申しますが、高密度経済社会といったようなものがもし

磯村英一

1968-04-11 第58回国会 衆議院 建設委員会 第14号

磯村参考人 一番最初の御質問の点、全く同意見でございます。たまたま法案の中にございましたから触れましたのでございまして、その点は年来私そういう主張を持っております。と同時に、私はこの機会に申しますのは、国にたくさんございまする審議会、それから地方にございまする審議会は、私は、これは白書を出すべきじゃないか、こういうふうに考えております。どのくらいの方がどのくらいのことをなすって、何期おられるというようなことは

磯村英一

1968-04-11 第58回国会 衆議院 建設委員会 第14号

磯村参考人 磯村でございます。すでに五人の方からいろいろお話がございまして、幾ら専門立場からいたしましてもかなり重複することがございますので、私は比較的あまり重複しない点だけを申し上げたいと思います。  まず、先ほどから非常に画期的な都市計画法改正である、こういうお話でございますが、大正八年から今日まで五十年、五十年もたちますれば、画期的となるのは当然でございます。したがいまして、必ずしも画期的

磯村英一

1962-03-20 第40回国会 参議院 地方行政委員会 第16号

参考人磯村英一君) 私はロンドンとかパリも見ましたのでございまするが、その場合におきましては、今御質問のように、むしろ若干これは街区の中を割っておりますものでございますから、少し日本的な混乱さをみたような方式のが、方式と申しますか、そういうのが残っておると思いますが、しかし、次々にこれは整理されていっておりますものでございますから、大体街区方式の中で、今度街路方式を一応取り入れようとするような、

磯村英一

1962-03-20 第40回国会 参議院 地方行政委員会 第16号

参考人磯村英一君) 方式といたしましては、これ以外に、これは大体今御質問のように二つに分けておりますけれども、街区方式がさらに二つになっておりますね、つまり街方式の中にある程度まで道路方式のようなものを入れているという、そういうとり方もございますので、方式といたしましては、これ以外には、主としてアメリカなんかは大体道路方式が多うございますが、街区方式よりか私は道路方式が多いと思います。それは道路

磯村英一

1962-03-20 第40回国会 参議院 地方行政委員会 第16号

参考人磯村英一君) 公務のためでございますけれども、たいへんおくれまして申しわけございませんでした。  私は、この法案を拝見いたしまして、主として自分専門に近い立場から意見を申し上げたいと思いますが、私は、この法案に対しましての根本的な考え方と申しますのは、実は、こういったような制度というのは、太平洋戦争が終わりました直後にすでに考えられるべきものではなかったかということでございます。それはなぜかと

磯村英一

1961-04-25 第38回国会 衆議院 建設委員会 第25号

磯村参考人 松井先生からお話がございましたから、簡単に申し上げます。  私は意見が少し違います。それは、この法案自体は、現在の都市にとりましては絶対必要なものである、こういうことでございますが、それでは、一体都市過大化というものがこの法案によって防止できるかというと、私は必ずしもできないという前提でございます。そのために衛星都市があるじゃないかということでございますが、この衛星都市という考え方

磯村英一

1961-04-25 第38回国会 衆議院 建設委員会 第25号

磯村参考人 ただいまの御質問は、この法案に関連するものとしてお答えをいたします。  私は、先ほど松井先生の御意見と若干違うかもしれませんが、都市計画に関しましての日本の一番大きな欠点は、先ほどちょっと触れましたように、土地が自由にならない、土地というものが一番大事であることである、こういうように考えます。これは当然のことと思います。日本の国土が非常に狭小でありまして、しかも山岳地帯が多いということ

磯村英一

1961-04-25 第38回国会 衆議院 建設委員会 第25号

磯村参考人 大学の時間のために、大へんおくれましたことをおわび申し上げます。  松井先生からどういうお話がございましたかわからないのでございますが、きわめて短かい時間この法案に対しまする私の基礎的な考え方を申し上げたいと思います。  この法案は、第一の問題は、当面東京の問題を必ずしも対象にしたものではないという理解のもとに、まず申し上げたいと思います。従って、問題が今の松井先生お話のように東京

磯村英一

1961-03-02 第38回国会 参議院 建設委員会 第10号

参考人磯村英一君) このサービスの低下のおそれということは、今御指摘がございましたように、これが必ずしもこういったような新しくできるこの法案で、予見している事業体の収益が期待できないとなるおそれは確かにございます。その場合のその責任を感ずる度合いと、公団が直営をしてもやはりサービスは低下すると思うのです、同じ資金であれば。その場合においての責任の感覚から申しますと、私は民間の方がその責任現状では

磯村英一

1961-03-02 第38回国会 参議院 建設委員会 第10号

参考人磯村英一君) お話よく私はわかりますのでありますが、ただ今度ここに出ました法案説明の内容によりますると、今度かりにこれを民間の会社と申しますか、そういうものでいたしましても、私の一つの疑問は、これで一体採算がとれるかどうかということでございます。これでまあ採算がとれるといたしまするのですけれども、私はこれだけのサービス地域社会のこういったような公団の中は、まだこれ以外にいろいろなものが

磯村英一

1961-03-02 第38回国会 参議院 建設委員会 第10号

参考人磯村英一君) 今委員長お話がございましたように、全く急なお話でございましたので、十分準備もいたしませんので、私が平素大体こういう住宅あり方につきまして勉強しておりまする立場から、自分専門の分野に比較的近いことだけを申し上げましてお許しいただきたいと思います。  第一の問題は、この問題に関連しまして、住宅公団ばかりじゃございませんで、最近地方自治体の中で公団形式というものが非常に多くなってきている

磯村英一

1959-04-07 第31回国会 参議院 建設委員会 第24号

参考人磯村英一君) 私の考えは大体今の御趣旨に似ております。ただこういうことは今日までの事情から考えて参りますると、今日までの住宅政策、特に戦争後にとられました住宅政策考えますると、住宅困窮という問題がかなり、それが収入というものの高い低いというそういう水準だけで、住宅困窮というものの措置がとられたとは必ずしも言えないのです。その意味におきまして、今日までは第一種、第二種というような形で進

磯村英一

1959-04-07 第31回国会 参議院 建設委員会 第24号

参考人磯村英一君) 御指名によりまして私の考えを申し上げたいと思います。  今般の公営住宅法改正に伴いまして、比較的自分専門に近い立場から意見を申し上げたいと思うのでございます。  公営住宅といったようなものの性格が、この法案の中において一応定義づけられておりまするのでございますが、これにつきまして基礎的な、こういう法案改正並びに今後のあり方考えますときに考えなければならぬ点は、大体この

磯村英一

1959-03-11 第31回国会 衆議院 社会労働委員会公聴会 第1号

磯村公述人 このような問題について関心を持っている者といたしまして、このような機会を与えていただきましたことをお礼申し上げます。  国民年金の問題はかなり久しく問題になっておりましたが、いよいよ国会におきましてこのような形でもってわれわれ国民の前に論議をされますことを非常に幸いに思います。ただ私が申し上げますことは、自分専門に関連しました数点について意見を申し上げたいと思います。  第一は、私の

磯村英一

1958-07-11 第29回国会 参議院 社会労働委員会 閉会後第1号

参考人磯村英一君) 専門立場から意見を申し上げたいと思います。  総括的に申し上げますると、この事件は、社会保障谷間に起った問題として、注目すべきことだろうと思います。私の、谷間と申しまするのは、この事件が、バタヤという都会のスラムの中に起ったということが、一番重要な要件だと思うのです。すでにお話があったと思いますけれどもスラムの中でも、特にバタヤの部落というのは、現在の社会保障がいろいろな

磯村英一

1951-09-03 第11回国会 参議院 文部・法務・厚生連合委員会 閉会後第1号

証人磯村英一君) 御尤もな御意見でございまして私が申上げましたのは、兒童福祉の面から申しましたならば、こういつたような施設が所の如何にかかわらず我々の社会におきましてこの種の形態を以ちまして存続いたすということは、これは不適当だということは、御同感願えるかと思います。先ほども申上げましたように、但し敗戦後の日本現状におきまして、又日本の従来の伝統的な一応の風俗なり道徳の建前からいたしましてそれが

磯村英一

1951-09-03 第11回国会 参議院 文部・法務・厚生連合委員会 閉会後第1号

証人磯村英一君) 一言お願い証人の一人として申上げますがお説御尤もと思います。但しこの書面を頂戴いたしましたのは金曜日の夕方でございます。而も本日は私どもの都議会が、御存じのような都と区の問題がございまして、私どもの所管の事務につきましては実に重要な、その前に処置しなければならん問題もございます。私どもは十時に参つております。従いまして、その時間にお始めを願いますれば十分御意見も承われたと思います

磯村英一

1951-09-03 第11回国会 参議院 文部・法務・厚生連合委員会 閉会後第1号

証人磯村英一君) 私は東京都の民生局長でございます。従いまして私のほうには兒童課という兒童福祉法の施行を担当いたしまする部課を持つております。同時に諮問機関といたしまして東京兒童福祉審議会というのを持つておりまして、この審議会では兒童福祉に関しまする原則的な問題につきまして、又里親等の具体的な問題につきまして審議を煩わしておる。この種の特飲街の問題に関しましては、すでに池上の問題がございました

磯村英一

1949-04-18 第5回国会 参議院 厚生委員会 第10号

證人磯村英一君) 簡單にお答が申上げますが、現在のような日本國情に対しまして、社会問題の発生に対して國の責任が十分でないということになりますると、その責任を全部私の團体に委ねることは、私の非常に危險なことを予期しなければならんではないかというふうに考えます。それでこの間において私が考えまする唯一の何は、特に民間社会事業について考えられますことは、宗教的な関連を持つた方面において何らかもう少し

磯村英一

1949-04-18 第5回国会 参議院 厚生委員会 第10号

證人磯村英一君) 社会事業は私の考によりますると、相当長期に亘つて平素から考えて置かなければならない施設と、そのときの社会情勢によつて生ずる施設と大体二つに分けられると思うのです。その場合におきまして、公共的な設備例えば病院でございますとか、或いは兒童の中でも特別な兒童施設といつたようなものは、社会情勢如何に拘らずこれは必要な施設と思いますので、こういつたようなものは、相当計画性を持ちまして

磯村英一

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